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福岡地方裁判所飯塚支部 昭和31年(ワ)78号 判決 1960年2月12日

原告 株式会社 中山工務店

被告 国

代理人中村盛雄 外二名

主文

被告は原告に対し金五十三万七千八百七十七円及びこれに対する昭和三十一年六月六日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払わなければならない。

原告のその余の請求はこれを棄却する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、被告は原告に対し金五十五万五千四百八十六円及びこれに対する昭和三十一年六月六日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払わなければならない。訴訟費用は被告の負担とするとの判決を求め、請求の原因として、被告会社は昭和二十九年中福岡県から飯塚市大字飯塚と同市大字菰田間に架設された飯塚橋の橋梁陥落復旧工事を請負い、工事を施行していたが同年十月二十八日午前十時三十分頃、被告会社の被用者で現場監督であつた訴外塚本保次郎が、土工訴外松村健也に命じて飯塚橋の菰田側から第四脚目の鉄筋コンクリート製横桁を火薬を用いて爆発したところ、コンクリートの破片が飛散し、折柄飯塚橋菰田側河岸附近道路上に他の通行人と共に退避していた、飯塚郵便局職員郵政事務官訴外梶原溜の顔面に当つたため、同人は左顔面爆裂創、上顎歯槽骨損傷、歯牙外傷を負つた。梶原溜はその職務である簡易生命保険並びに郵便年金の加入を勧誘するため飯塚郵便局から飯塚市菰田方面に赴く途中右の負傷をしたもので、従つて公務のために負傷したのであるから、原告は右梶原に対し国家公務員災害補償法にもとづき療養補償費として昭和三十年三月十一日金一万四百八十八円、同月二十三日金三万二千九百九十八円、損害補償費として同年五月十六日金百五万四千二百円、以上合計金百九万七千六百八十六円を補償した。ところで右梶原の前記負傷は専ら被告会社従業員の過失によるものである。即ち発破作業には穴操り、火薬装填、危険防止措置などに特殊の技術を要し、且つ右作業には種々の危険が伴うので工事監督者たるものは必ず火薬類取扱有資格者をして発破作業に当らせ、事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにかかわらず、当日火薬類取扱有資格者である訴外畠山勇が病気で欠勤していたのに、訴外塚本保次郎は右資格を有せず、且つ発破作業の技倆未熟な訴外松村健也に作業をなさしめたので、特に同人の破壊物の飛散防止措置が不完全であつたため、破壊されたコンクリートの破片が飛散したもので右梶原は爆発地点から六十五米離れた危険区域外にいたのにかかわらず、前記損害を負うたものである。然らば右梶原の負傷は右塚本並びに松村の過失に起因するものというべく、而して右両名は被告会社の従業員であり、右事故は右両名が被告会社の業務の執行中に発生したものであるから、被告会社は右両名の使用者として右梶原に対し同人の蒙つた損害を賠償する義務がある。ところで右梶原の負傷に因る損害額については、同人は簡易生命保険並びに郵便年金の募集の業務に従事していたが、募集員には俸給のほかに右募集の報酬として特殊勤務手当が支給されることになつていたところ、右梶原は募集成績がよく同人が本件負傷前に支給を受けた特殊勤務手当の額は諸般の資料により計算した結果少くとも、昭和二十七年度は金二十四万三千九百五十円、昭和二十八年度は金二十七万二千九百九十三円を得たことが明らかであり、また昭和二十九年度本件事故発生までに支給を受けた同手当額は金十四万千八十九円であり、これを年額に換算すると金十六万九千百円以上となる。然るに本件事故により顔面に醜状を呈し、面談勧誘をなすことに支障を生じたため、本件事故後同人が得た特殊勤務手当額は昭和三十年度五万七千五百七十六円、昭和三十一年度金十一万六百五十円、昭和三十二年度金十万五千七百十円に過ぎなかつたが、若し本件事故がなかつたならば、少くとも負傷前三年間における同手当の最低額である金十六万九千百円は得たものとみるべきであるから、その割合で計算すれば、本件負傷後得べかりし利益を喪失した金額は右最低額から前記各年度の実収手当額を控除して算出した昭和三十年度金十一万千円(千円未満は切捨、以下同じ)昭和三十一年度金五万八千円、昭和三十二年度金六万三千円合計金二十三万二千円である。ところで右梶原は健康に恵まれていたので、満六十年の定年退職に至るまで保険募集の業務にたずさわることができるのみならず、その能率は満六十年までは低下するが如き性質のものではないから本件事故がなかつたならば、同人は昭和三十三年度以降においても、すくなくとも負傷前三ケ年間の最低額の募集手当は得ることができたはずである。しかるに本件事故による額面の醜状が禍して募集の能率が低下したが、額面の醜状も固定しているので、昭和三十三年度以降も本件負傷後三ケ年間の最高額以上の募集手当は得ることができず、結局昭和三十三年度以降右梶原(明治三十六年十月十日生)が満六十年に達する前月である昭和三十八年九月まで五年九月の間、少くとも負傷前三ケ年間の最低特殊勤務手当額と、負傷後三ケ年間の最高特殊勤務手当額の差額である毎年度金五万八千円、通算すれば右期間中金三十三万三千五百円の得べかりし利益を喪失したことになる、この金額より年五分の割合による中間利息を控除して一時に請求し得る金額を算出すると計数上、金二十八万円(但し一万円未満は切捨)となるが、これと昭和三十二年までの前記損害金二十三万二千円、治療費として要した金四万三千四百八十六円以上合計金五十五万五千四百八十六円は本件負傷に因る損害である。しからば右梶原は被告会社に対して右同額の損害賠償請求権を有していたところ、原告は右梶原に対し前記金百九万七千六百八十六円の補償をしたから国家公務員災害補償法第六条第一項の規定により、右補償額の範囲内である、右梶原が被告会社に対して有する右金五十五万五千四百八十六円の損害賠償請求権を取得するので、原告は被告に対し右金五十五万五千四百八十六円及びこれに対する本件訴状が被告に送達された日の翌日である昭和三十一年六月六日以降完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるため本訴に及ぶと陳述し、被告会社主張の事実を否認した、立証<省略>

被告会社訴訟代理人は、原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、答弁として原告主張の事実中、被告会社が福岡県から飯塚橋の陥落復旧工事を請負つたこと、右工事施行中原告主張の日時に被告会社従業員が火薬を用いて橋梁の一部を爆発したところ、コンクリートの固りが飛散し、これが訴外梶原溜の顔面に当つたため、同人が負傷したことは認めるが、その余の事実はいずれも否認する。本件発破作業は従前の経験に基いて厳重なる警戒と破壊物の飛散防止につき万全の方法を尽して実施したもので実施に当つた被告会社従業員に過失はなかつた。仮に過失があつたとしても、被告会社が本件工事を実施するについては設計仕様書に基き、県の指揮監督を受ける立場にあつたところ、工事現場附近は交通頻繁なところであるうえ、発破作業は危険を伴うところから被告会社係員は当日の発破をかける時刻もこれまでと同様に、比較的交通量の少い午後五、六時頃を予定していたところ、県の監督官である技官訴外田中某が午前十時過頃現場にきて、被告会社の工事監督者である訴外野見山稔、同中山粛及び火薬類取扱免許保持者である訴外畠山勇がいないのにかかわらず強いて現場の一係員で当時漸く成年に達したばかりの訴外塚本保次郎に発破するよう命じたので、同人は止むを得ず、訴外松村健也、同岩井保をして発破を為させたために本件事故を惹起するに至つたものであるから、右田中技官及び県の責任は重大であるが、これに比べ被原会社の責任は僅少である。そこで原告の本訴請求に応じ難いと述べた、証拠<省略>

理由

被告会社が福岡県から飯塚橋の陥落工事を請負つたこと、昭和二十九年十月二十八日午前十時三十分頃右工事施工中被告会社従業員が火薬を用いて橋梁の一部を爆発させたところ、コンクリートの固りが飛散しこれが訴外梶原溜に当つたために同人が負傷したことは当事者間に争がない。証人青山了の証言によつて真正に成立したものと認められる甲第三十九号証の記載によれば、右梶原は右事故により左顔面爆裂創、上顎骨歯損傷等の傷害を受け、両耳外傷性神経症の症状を呈するに至つたことが認められる。而して成立に争のない甲第十号証の記載、証人朝見半治(いずれも後記措信しない部分を除く)梶原溜、高橋宮太郎、定光正義の各証言を綜合すれば右梶原は飯塚郵便局に勤務し、簡易生命保険並びに郵便年金募集の業務に従事している国家公務員であること、右業務は個別的に上司の命を受けることなく随意に出向いて募集することになつているところ、事故発生当日は飯塚郵便局から、嘉穂郡穂波町所在嘉穂地方事務所並びに穂波町役場等に募集に行くために現場を通過せんとしたものであること、右順路が同人の右用務達成上必要な順路であることが認められるので、本件傷害は公務のために負つたものであるといわなければならない。甲第十号証の記載並びに証人朝見半治の証言中右認定と相容れない部分は措信し難く他に右認定を左右するに足る証拠はない。成立に争のない甲第三十五号証、第三者の作成に係り真正に成立したものと認められる同第三十七、第三十九、第四十一号証弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる同第三十六、第三十八、第四十号証(甲第三十六、第三十八、第四十号証のうち郵便局職員の作成部分の成立については当事者間に争がない)公文書であつて真正に成立したものと認められる同第四十二号証の四の各記載を綜合すれば、(一)梶原溜の本件負傷がなおつたとき、そしやく及び言語の機能に著しい障害を残したこと、(二)七歯以上に対し歯科補てつを加えたこと、局部にがん固な神経症状を残したこと、外ぼうに著しい醜状を残したことが認められるところ、右(一)の身体障害は国家公務員災害補償法にいう身体障害の等級を定めた同法別表第一の第四級に、(二)のそれは何れも、同じく第十二級に該当するものというべく、従つて同法第十三条第三項の規定により重い身体障害に応ずる等級の一級上位の等級である第三級によるべきものといわなければならない。而して前顕証拠によれば梶原溜の平均給与額が日額千四円であつたこと、従つて原告は右梶原の身体障害につき前段認定と同様の認定をした結果障害補償費として昭和三十年五月二十日金百五万四千二百円を支給したことが認められる。尤も証人青山了の証言並びに同人の証言により真正に成立したものと認められる甲第四十七号証、同第四十八号証の各記載によれば前記障害のうち(一)のそしやく及び言語に対する障害はその後更に自然治癒し、単にそしやく及び言語の機能に障害を残す程度になつたことが認められるが、国家公務員災害補償法第十三条に規定する障害補償の対象となる職員の負傷がなおつたとき身体障害が存する場合とは、負傷が全治したときに身体に障害が存する場合を意味するのではなく、症状が安定したとき、いいかえると医師の手を借りなくて済む状態になつたときに身体障害が存する場合を意味するから前記自然治癒後の障害程度は障害補償費支給の基準とはならないものといわなければならない。次に成立に争のない甲第二十七号証、同第三十二号証、第三者の作成に係り真正に成立したものと認められる、同第二十九、第三十一、第三十四号証弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる同第二十八、第三十、第三十三号証(同第二十八、第三十、第三十三号証のうち郵便局職員の、作成部分の成立については当事者間に争がない)公文書にして真正に成立したものと認められる同第四十二号証の一乃至三、の各記載並びに証人梶原溜の証言を綜合すれば、右梶原は本件負傷による治療費として、医師訴外置鮎章に金八千七百六十円、医師訴外高田士に金千七百二十八円、医師訴外青山了に金三万二千九百九十八円以上合計金四万三千四百八十六円を支払つたこと、原告は右梶原に対し国家公務員災害補償法に基き昭和三十年四月二日右療養補償費として金四万三千四百八十六円を支給したことが認められる。

進んで本件事故が被告会社従業員の過失によるものであるか否かの点について検討する。成立に争のない甲第十三号証、同第二十三号証、乙第一号証の一の各記載に弁論の全趣旨を綜合すれば本件事故の発生現場である飯塚橋は飯塚市の中央を流れている穂波川に架設され、同市飯塚地区と菰佃地区を結ぶ地点に位し、昭和通りの一部を為しているため、交通が極めて頻繁なところであること、本件事故の発生した当日の午前十時三十分頃も交通量が多く、事故現場である飯塚橋菰田側では発破による通行止のために数十人の群集が避難していたことが認められる。斯かる殷賑な場所を控えて発破作業をするには、従業員には火薬類取扱の知識と経験の豊かな者をして自らなさしめるか、その完全なる指揮のもとに行なわせるべきは勿論、破壊する物の性状に応じ、用いる火薬の種類数量を選定し、更にこれを用いる方法として火薬を装填すべき穿孔の位置、方向、深さ、穿孔全長に填塞するこめ物などが適切でなければならないばかりでなく、破壊物が飛散するのを防止する方法を講じ、或は警戒線を定め、警戒員をして通行人が危険区域に立入るのを禁止するなど、危険発生の防止について万全の方法を講じなければならないことはいうまでもない。しかるに成立に争のない甲第十三、第十四、第十六、第二十、第二十一号証の各記載を綜合すれば本件事故が発生した当日現場監督である訴外塚本保次郎は飯塚橋の菰田側から第四脚目橋脚群のつなぎ目を発破せんとしたが、当日鉱山甲種発破係員の合格証書所有者である訴外畠山勇が病気のため欠勤していたので、土工訴外松村健也をして発破作業をなさしめることとしたこと、同人は右橋脚群つなぎ目の上流側二ケ所に約六十糎の間隔をおいて穿孔をなし、黒色鉱山火薬を充填し、そのうえに発破による破片の飛散を防止するために畳二枚を十字型においたこと、塚本保次郎は飯塚橋菰田地区側には発破現場より約六十米離れた個所を警戒線と定め、赤旗を持つた警戒員二名を配置して通行人が危険区域に立入るのを禁止したうえで、松村健也をして点火せしめたところ、二個所に仕掛けた火薬が殆んど同時に爆発し多数のコンクリートの破片が飛散し、その一部が菰田側警戒線の外に避難していた群集中に落下し、その場に居合せた右梶原の顔面に当つたものであることが認められる。ところで前顕甲第二十、第二十一号証、成立に争のない第二十二、第二十三号証の各記載を綜合すれば、塚本安次郎は発破作業の経験がなかつたこと、松村健也は各工事場で発破作業に従事し、また本件工事場でも二、三回発破作業に従事したことがあつたけれども、それらはいずれも補助者としてなしたに過ぎず、自らの計画のもとにその実施を一貫作業としてなしたものではなく、その知識並びに技術は未熟であつたことが認められ、前顕甲第二十号証、同第二十一号証の各記載を綜合すれば本件発破の際右塚本は発破孔一個の装薬量を従前の例に做つて二百瓦として右松村に渡し、同人はそのまま発破孔に装填したが、右塚本はその際正確に針量したものでないこと、従つて火薬が適量でなかつたことが窺われ、前顕甲第二十一号証の記載によれば右松村は深さ二尺(約六〇糧)直径八分(約二、四糎)の発破孔を穿つたことが認められるが、成立に争のない甲第四十四号証の記載によれば、斯かる発破孔においては黒色鉱山火薬の装填比重から火薬の孔内に占める高さは五十一糎位となり、残孔の深さは十糎以下となるので填塞不十分となつて、発破の際通称「鉄砲」となり火薬の爆発力が徒らに飛石を遠くに飛ばすことが認められそのうえ、前認定の通り二つの穿孔間隔は約六十糎であつたばかりでなく、二つの発破孔の火薬が殆んど同時に爆発したため、最初の発破によつて橋梁の破砕が過度に生じ、或は亀裂が起つて、次の発破は荷重過少となり、最初の発破による破片が落下しないうちに、次の爆発圧によつて破片を遠方に飛ばす助勢をすることにもなり、或は最初の発破によるガス圧飛石、振動などにより畳が移動し、次の発破の際には畳が飛石防止の用をなさない状態となり、いずれも飛石を多くする結果となつたものであることが窺われ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。以上の事実によれば本件事故は、監督者たる右塚本並びに発破の実施に当つた右松村がいずれも火薬取扱の知識経験に乏しく、その技術が拙劣であつたために、発破作業に欠缺があつた過失に起因するものというのほかはない。而して右両名が被告会社に雇傭されており、本件事故が右両名による被告会社の業務執行中に惹起されたことは当事者間に争のないところであるから、被告会社は使用主として本件事故による損害の賠償責任を免かれない。

被告会社は本件工事は設計仕様書に基いて福岡県の指揮監督のもとに実施することになつていたところ事故発生当日県の監督官である技官訴外田中某が、突然工事現場に来て、被告会社の工事責任者がいないのにかかわらず、塚本保次郎に発破するよう命じたため、本件事故を惹起するに至つた旨主張するが、斯かる事実を肯認するに足りる証拠はないから被告会社の右主張は採用できない。そこで右梶原が本件負傷により蒙つた損害の額につき判断するのに同人は国家公務員として飯塚郵便局に勤務し、簡易生命保険、郵便年金の募集をする業務に従事していることは前認定の通りであるが、成立に争のない甲第五十一号証の記載並びに弁論の全趣旨によれば募集員には俸給のほかに募集の報酬として特殊勤務手当が支給されることになつていることが推認されるところ、成立に争のない甲第五十二乃至第六十一号証並びに弁論の全趣旨によれば右梶原は簡易生命保険並びに郵便年金の募集成績が良好で本件負傷前に支給を受けた特殊勤務手当額は、昭和二十八年度(前顕各証拠を綜合すれば年度とは一月一日より十二月末日までであることが認められる。以下年度と称するは右と同じ意味である。)は金二十七万二千六百六十四円であり、昭和二十九年度において本件事故が発生した日の前日までの三百日間に支給を受けた右手当額は金十四万千八十九円であつて、これを年額に換算すれば金十七万千六百五十八円となること、昭和二十七年度においても少くとも昭和二十九年度以上の特殊勤務手当を得ていたことが認められる。然るに前顕第二十八乃至第三十一号証、同第三十三、第三十四、第三十七、第三十九号証、証人青山了の証言により真正に成立したものと認められる同第四十七、第四十八号証、成立に争のない甲第六十二乃至第六十四号証の各記載に証人青山了、梶原溜の各証言を綜合すれば、本件負傷後右梶原が得た特殊勤務手当額は昭和三十年度金五万七千五百七十六円、昭和三十一年度金十一万六百五十円、昭和三十二年度金十万五千七百十円に過ぎないことが認められるのみならず、その原因はもつぱら前認定の通り同人の業務が、他人と面接のうえ、勧誘をしなければならないのにかかわらず、本件負傷によりその顔面に醜状を呈し、且つ言語に障害を生じたため、業務の遂行に少なからざる支障を生じたことによるものであると認めるのが相当であつて、右認定を左右するに足る証拠はない。而して前段認定の事実から本件事故が発生しなかつたならば、少くとも事故前三年間における右手当の最低額である金千七万千六百五十八円を得たものと認めるのが至当であるから、その割合で計算すれば、右梶原が本件負傷による身体傷害により、昭和三十二年未までに得べかりし利益を喪失した金額は昭和三十年度金十一万四千八十二円、これを月額に換算すれば金九千五百七円、昭和三十一年度金六万千八円、これを月額に換算すれば金五千八十四円、昭和三十二年度金六万五千九百四十八円、これを月額に換算すれば金五千四百九十六円となるが、これより各年度毎に本件事故発生の日を基準としてホフマン式計算方法によつて年五分の割合による中間科息を控除し、一時に請求し得る金額を算定すると、昭和三十年度分金十一万百五十八円、昭和三十一年度分金五万六千百九十四円、昭和三十二年度分金五万八千七十二円、以上合計金二十二万四千四百二十四円となることは明かである。次に前顕甲第二十八号証、同第三十号証、同第三十一号証の各記載によれば、右梶原は明治三十六年十月十日に出生したことが認められ、同人が通常の健康体を有していたことは弁論の全趣旨から推認されるところ、同人が少くとも満六十年まで生存し得ることは日本人男子の平均余命年数から推定され、それまで現在の業務に従事し得ることも経験則と前段認定の事実から推認できるところである。しかもその業務の性質上保険募集の能率は満六十年までは急激に低下するとも考えられないので右梶原は本件事故がなかつたならば、昭和三十三年度以降においても平均すれば少くとも負傷前三ケ年の最低額の募集手当は得ることができないものと認めるのが相当である。しかるに本件負傷により顔面に醜状を呈したことと言語に障害が生じたことのため、募集の能率が低下したことは前段認定の通りであるところ、前顕甲第三十九号証、同第四十七号証、同第四十八号証の各記載並びに証人青山了の証言を綜合すれば同人の右症状は既に固定的なものであることが認められるから昭和三十三年度以降も平均すれば本件負傷後三ケ年間の前記最高額以上の募集手当は得ることはできないものと認められるので、昭和三十三年度以降右梶原が満六十年に達する前月である昭和三十八年九月までの間には前記負傷前三年間の最低特殊勤務手当額金十七万千六百五十八円と、負傷後三ケ年の最高特殊勤務手当額金十一万六百五十円の差額である一年間金六万千八円、これを月額に換算すれば金五千八十四円、通算すれば右期間中に金三十五万七百九十六円の得べかりし利益を喪失したことになる。ところで右金額から本件事故発生の日を基準としてホフマン式計算法により年五分の割合によよる中間利息を控除し一時に請求し得べき現在価格を算出すれば金二十六万九千九百六十七円となることは計数上明らかである。そこで右梶原が本件事故に基く身体障害により、得べかりし利益を喪失したことによるとして一時に請求し得る額は右金二十六万九千九百六十七円及び前認定の金二十二万四千四百二十四円、以上合計金四十九万四千三百九十一円であつて被告会社に対し右金額の賠償請求権があつたところ、原告はすでに認定した通り右梶原の本件負傷に基く身体傷害に対し金百五万四千二百円を補償したのであるから、国家公務員災害補償法第六条第一項の規定に基いて、原告が右梶原に補償した額の範囲内である同人の被告会社に対して有する前記金四十九万四千三百九十一円の損害賠償請求権を取得したわけである。また右梶原は本件負傷による治療費として金四万三千四百八十六円を支出したことは前認定の通りであるから、被告会社に対し右金額の賠償請求権を有するところ、原告は右梶原に対し治療費として金四万三千四百八十六円を補償したことは前認定の通りであるから同じ理由によつて右梶原の被告会社に対する台金額の損害賠償請求権を取得したわけである。

それ故被告会社は原告に対し前記金四十九万四千三百九十一円並びに右金四万三千四百八十六円以上合計金五十三万七千八百七十七円及びこれに対する本件訴状が被告会社に送達された日の翌日であることの記録上明らかな昭和三十一年六月六日以降完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

そこで原告の本訴請求は右限度において理由のあるものとしてこれを認容しその余は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十二条但書を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 川淵幸雄 小出吉次 岡崎永年)

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